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最近の研究成果よりnew informetion

静的には異なるが動的には酷似する磁気状態の発見


 フラストレート磁性体は、相互作用の競合によって様々な磁気相が発現することから多くの注目を集めています。特に、三角形を基本ユニットとする三角格子、カゴメ格子、パ イロクロア格子などは、フラストレート磁性体の代表的な格子系です。1次元の例としては、三角形が1方向に積層する三角スピンチューブが理論的に広く研究されています。S = 1/2ハイゼンベルグスピンでは、スピン相関が指数関数的に減衰し、基底状態はスピンギャップを持つ非磁性状態であることが知られています[1]。さらに異方性や磁場によって カイラル秩序を持った朝永ラッティンジャー液体(TLL)相の発現が予想されています[2]。
 実際の物質では、小さいながらも存在するスピンチューブ間相互作用によって、様々な磁気秩序が現れる可能性があります[3]。CsCrF4は、唯一の正三角スピンチューブ候補物 質として知られていました。スピンチューブは c軸方向に走っており、チューブに垂直なc面内の結晶構造は図1(a)のようになっています。磁化率と比熱の測定では相転移は確認 されておらず、当初はTLL液体の可能性が指摘されていました[4]。しかし後の中性子回折実験から、低温では図1(b)に示される伝播ベクトルqLTの120°構造が観測され、さらに 昇温させると図1(c)に示される伝播ベクトルqIT への逐次相転移が明らかにされました[5]。本研究では、粉末試料を用いて非弾性中性子散乱(INS)実験を行い、スピンハミルト ニアンを決定し、逐次相転移下で現れる異なる磁気状態に光を当てました。
 実験はJ-PARC/MLFのHRC分光器により行われました[6]。図1(d)はINSスペクトルのdiffraction部分を示しており、低温(LT)相の0.8 Kでは伝播ベクトルがqLT、中間(IT)相の3.1 Kでは伝播ベクトルがqITを示す磁気ブラッグピークが観測されました。先行研究通り、 静的には異なる構造であることが分かります。次に LT相のINSスペクトルと計算スペクトルを図1(e)と図1(f)に示します。ハミルトニアンはDM相互作用と単イオン異方性を含 むハイゼンベルグ三角スピンチューブを用い、計算は線形スピン波理論を用いました。計算は実験結果をよく再現していることが分かります。図1(g)はIT相のINSスペクトルで す。驚くべきことに、静的なdiffractionプロファイルはIT相とLT相で異なっているにも関わらず、動的なINSスペクトルはIT相とLT相とで非常に良く似ています。IT相のINS スペクトルについてもLT相と同様の解析を試みましたが、計算は実験結果を再現しませんでした。これは逐次相転移の起源が、微小な格子歪みによるスピンハミルトニアンのパラ メータの変化によるものではないことを意味しています。
 基底状態相図を計算すると、INS実験で得られたスピンハミルトニアンのパラメータは、 伝播ベクトルqIT及びqLTを示す磁気相の境界付近に位置していることが分かりました。このことはLT相の内部エネルギーがIT相のものに近いことを示唆しています。高温ではエ ントロピー項が内部エネルギー項よりも支配的になるため、逐次相転移の起源はスピンエントロピー利得であると考えられます。このようなフラストレート磁性体における逐次相 転移においては、静的には異なるが動的には酷似する一見不思議な磁気状態が現れることを明らかにしました。

[1] K. Kawano, and M. Takahashi, J. Phys. Soc. Jpn. 66, 4001 (1997).
[2] T. Sakai, M. Sato, K. Okunishi, Y. Otsuka, K. Okamoto, and C. Itoi, Phys. Rev. B 78, 184415(2008).
[3] K. Seki and K. Okunishi, Phys. Rev. B 91, 224403 (2015).
[4] H. Manaka, Y. Hirai, Y. Hachigo, M. Mitsunaga, M. Ito, and N. Terada, J. Phys. Soc. Jpn. 78, 093701 (2009).
[5] M. Hagihala, S. Hayashida, M. Avdeev, H. Manaka, H. Kikuchi, and T. Masuda, npj QuantumMater. 4, 14 (2019).
[6] H. Kikuchi, S. Asai, H. Manaka, M. Hagihala, S. Itoh, and T. Masuda, Phys. Rev. B 107, 184404 (2023).



図1(a) CsCrF4 の結晶構造。Cr3+がS=3/2 の正三角スピンチューブを形成する。(b) CsCrF4 のLT 相の磁気構造。(c) CsCrF4 のIT 相の磁気構造。(d) Ei = 3.1 meV で測定されたINS スペク トルの弾性散乱部分。(e) Ei = 15.3 meV 、T = 0.8 K(LT 相)で測定されたINS スペクトル。(f)線形スピン波理論を用いて計算されたLT 相のINS スペクトル。(g) Ei = 15.3 meV 、T = 3.1 K(IT 相)で測定されたINS スペクトル。

H. KikuchiA, S. AsaiA, H. ManakaB, M. HagihalaC, S. ItohC, and T. MasudaA,C,D
A東京大学 物性研究所
B鹿児島大学大学院 理工学研究科
C高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所
D東京大学 トランススケール量子科学国際連携研究機構


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